海外とわたし
そもそも海外、嫌いでした。
高校時代、英語も30点代が常連。
中学の時、親の勧めで無理やりオーストラリアにホームステイに行かされ、英語もしゃべれず、飯も口に合わず、行った仲間もおもしろくなかった。
帰りブリスベン空港から帰国するとき、両手を上げて喜び、二度と行くかボケッと思いましたもん。
それが何故海外でどうしても働きたいと思ったのか。それは大学でのある出会いからなのです。
元々鉄道が幼少時より好きで、明らか文化系人間で、高校では意気がって軟式テニスをやっていたものの、天性の運動オンチのため、結局はなんとか3年間続けたというカタチ。
大学でテニスサークルに入ったものの、やっぱり合わず、結局自分の好きだった鉄道を極めようと鉄道研究会に入ってしまいました。
大学1回、たまたま取った初級ドイツ語が先生が大変いい先生で、少し海外嫌いが和らぎ、大学2回生のとき、ドイツの政治やら文化やらに少し触れるつもりで、副専攻をドイツの言語と文化コースを選択。
これが大間違い。なんとこのコース、ドイツ語中級履修が卒業必須条件になっており。ドイツの難しさを初級で嫌というほど身に染みていました。
間違いに気づき、教務部に交渉したものの、もう変更不可な状態。
そこである大きな出会いが訪れます。